代官山日乗

自覚さえすればどんな生活にだって深い意味が出来る。

ふたりのヌーベルヴァーグ

ふたりのヌーヴェルヴァーグ [DVD]

ふたりのヌーベルヴァーグ / 監督:エマニュエル・ローラン 2010

 

パリで学校に入って最初の自己紹介で映画が好きだ、特にヌーベルヴァーグと言った。

それからことあるごとに教授から「君、ジャン・ユスターシュのママと娼婦は何年だったかね?」といった質問を講義中にされるようになった。嬉しそうに送られる同好の士へのエールを受け止めたかったが、彼の質問は時にマニアックすぎて日本のぼんやりした映画好きでしかなかった私は何度も口ごもった。

あちらではそれなりのインテリなら映画は誰でも観る。映画好きと言えば観た映画の制作年度はもちろん、脇役の俳優から撮影監督まで暗記し、誰彼かまわず自分なりの映画観を熱弁するシネフィルのことを差すのだ。

 

トリュフォーゴダールはまさに筋金入りのシネフィルだった。映画が好きで映画に取り憑かれ、やがて映画を撮るために映画を観るようになり、とうとう映画を撮った。ヌーヴェルバーグの新しさは、それが映画が生んだ映画だという点だったと思う。映画産業が成熟し、過去の映画資産の蓄積がある段階に達した時にはじめて映画について考えるということが成立する。二人は職人的修行をする代わりに映画によって育てられた監督なのだ。

 

パリの生活も落ち着くと私は足繁く映画館に通うようになった。教授の質問に答えたいと言った殊勝な気持ちよりも、単に予算の問題でテレビが買えず、学割で映画がとても安く観れたからだ。パリではそこら中で過去の名作を上映しており、ぴあ的な雑誌パリマッチのインデックスを観れば大抵の作品が載っている。せっかくだから片っ端から観てやろうという気になった。

図書館で映画関連の本を借りて観たい作品のリストを作り、あちこちの映画館を飛び回った。この映画に出てくるシネマテークにもよく行った。映画好きの友人と二人で一番前の席に陣取り、トリュフォーゴダールもそうしていたと悦に入った。そう、私もいつの間にかシネフィルになり始めていたのだ。

 

このドキュメンタリーはトリュフォーゴダールの蜜月から別れまでを丹念に追っている。もう一人の中心人物、ジャン・ピエール・レオーを横軸にヌーヴェルバーグを俯瞰することができる。ゴダールフリッツ・ラングのインタビューやジャン・ピエール・レオーの最初のスクリーンテストなど貴重な映像も含まれていて・・・と言った話はどうでもいい。

正直、昨今どんどん出てくるフレッシュなドキュメンタリー作品と比べるとあまりにもオーソドックスでNHK的な編集だとも思う。批評家ゴダールなら舌鋒鋭くけちょんけちょんに叩くかもしれない(合間合間に出てくるあのブロンドは何なんだ?)。

しかし私にとっては心の中のまだ少し残っている柔らかい部分を押されるような作品だった。ヌーベルヴァーグと映画にかける情熱。二人の熱がかつて私も持っていた熱にシンクロし、くすぶっていた導火線が再び燃え始めるような気分になった。

 

まったくここまでの文章と関係ないが今回の教訓。

 

教訓:友達に罵倒されても罵倒で返してはならない。