代官山日乗

自覚さえすればどんな生活にだって深い意味が出来る。

仕事を休んでマウリッツハイス美術館展を見なかった記

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仕事を休んで東京都美術館マウリッツハイス美術館展を見に行った。

 

こちらに書いたようにあの絵との再開をすごく楽しみにしていたので、上野の公園を歩きながら胸が高鳴るのを感じた。美術館につくと係の人が最後尾は30分待ちと書かれたプラカードを掲げていた。まぁ、それも仕方ないと思いながらチケット売り場に向かった。ちらりを横をみると館内に長い行列が見えた。人、人、そして人。

 

私は花火大会とか野外ライブとかネズミの遊園地とか、人がたくさんいる場所が好きではない。正直に言うと大嫌いだ。そういう場所にでかけて楽しい思いをしたことは一度もないし、今はそれがわかっているのでもう出かけることもない。

 

マウリッツハイス美術館は小さな街のささやかな美術館で、私はかつでそこで見た小さな絵と再会したかっただけなのだ。なぜこんなことになっている?これじゃあまるで大人気のラーメン屋か(行列に並ぶのも大嫌いだ)、アイドルのコンサートじゃないか。

 

30分待つことは問題ない。だが、人ごみに流されるようにしてたくさんの頭の間から絵を見たって何の感興も得られないだろう。フェルメールに限らず図版ではなく、本物の絵をみる楽しみは細部を観察して写真ではわからないタッチを見たり、ため息をつきながら長々と立ちすくみ、離れがたい気持ちを押さえて立ち去ることにあるんじゃないだろうか。

 

こんな風に絵を見ても、本物を見たと人に言えるだけだ。私はすでに見たことがあるのでそういう経験は必要ない。別にマウリッツハイスに日本にきてもらう必要はないし、いつか自分の方からまた出向こう、そう決めて降りたばかりのエスカレーターをまた上り、公園を歩いて渋谷に帰った。