代官山日乗

自覚さえすればどんな生活にだって深い意味が出来る。

代官山蔦屋書店ーリアル店舗に今、何ができるのか?

引越すと決めて棚数本分の本とCD、DVDを半分に減らす計画を立てた。

デジタル化は昨今の流行のようだが、自分はどうも乗り気にならない。大量のCDやDVDをPCに読み込ませるのは面倒だし、ましてや本をスキャンするなんて気が遠くなる。そんな時間があれば一冊でも多くの未読本を読めばよいのだ。

 

床に段ボールを並べ、これはまた読むかもしれない、今は聴かないがそのうち聴きたくなる時がくる、このDVDを探すのは随分苦労した、などと捗らない作業を続けていたところに蔦屋書店ができた。CCC社業30年の集大成的な店舗だそうだ。私は本屋を素通りするのにかなり努力を要するたちだ。こんな近くに大型店ができるとは実に迷惑な話だ。

 

本はなるべくリアル店舗で買う。ネットで物を買うと便利だが、どういうわけか満足感がない。購入ボタンを押した時がテンションの頂点で宅急便屋がドアベルを押した時にはなんだか覚めている。Amazonの箱を開けて中身を確認し、「いつか読む」の棚にそのまましまったりする。購入体験とは物を取得する以外に何か別の要素を含んでいるのだろう。

 

アラスカのジュノーにはいい本屋があった。人口が少なく遠隔地なため大手チェーン店が出店するメリットがない。だからインディペンデントな地元の本屋が長く続く。夏の間にくるクルーズ船の客の暇つぶしを提供することで商売をたてる一方、地元の小さな文化拠点にもなっている。坂を登った角にあるその店は駄菓子屋にいたお婆さんのような女性が店主で、街の歴史に関する本が何でもそろっていた。夏の終わりかけの午後、古い写真集をくりながら昔の街並について教わったのを今でも覚えている。

 

結局、店というのは顧客にどのようなリレーションを提供できるかなんじゃないかと思う。商売が厳しい東京の街で店主の個人サービスを期待するほどナイーブではないが、それでも別のやり方があるという気がする。美しい建物にセンスのよいセレクションがつまっているだけなら金をかければできる話だ。蔦屋書店にはさらにプラスワンを期待する。またリレーションというのは一方通行ではない。顧客として店とどう関わって行くのかもそのキーになる。

 

オンラインショッピングは確かに便利だ。だが便利なことだけに価値があるわけでもない。店、顧客、土地という三角形で何が生み出せるのか、しばらく通いながら考えてみようと思う。