代官山日乗

自覚さえすればどんな生活にだって深い意味が出来る。

マウリッツハイス美術館とフェルメール

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ちょっとした事情があってパリを出なければならなくなった。とりあえずアムステルダムまで行くことにして、気が向いた場所で途中下車でもするかという軽い気分で旅に出た。

 

デンハーグに降りたのは寝台列車がちょうど朝に着いて少し歩きたかったからだ。近くに大きな美術館があると聞いて、歩いて来たもののまだ時間が早すぎて開いてなかった。あたりの写真を撮りながらタバコを吹かして開館を待った。その時の写真がこれだ。

 

パリでは毎週ポンピドーに通い、現代美術は沢山みていたが北方ルネッサンスはあまり関心を持ったことがなかった。どうせ次の電車までの暇つぶしだから何でもいいやといういい加減な気持ちと、せっかくだから何でも見てやろうという好奇心でぶらぶらとマウリッツハイスを歩いた。がらんとした館内に展示された絵を眺めているうちに、いくつか興味をひかれるものを見つけ、案外悪くないなと思いかけていた時にフェルメールに出会った。

 

小さな部屋にかけられた青いターバンの少女。一人っきりでその絵と対面する幸運の意味をその頃は知らなかったが、ただ引き込まれ長い時間その前に佇んでしまった。私は若く、まだ恋をする年齢だったのだ。後からやってきた何人かの観覧客が私の後を通り過ぎて行った。

 

読み方もわからなかったJohannnes Vermeerという作者の名をノートに控え、同じ美術館にあった他の2つの作品も見た。その後、何か重大な邂逅をしたという興奮を残して美術館を去った。それから幾つかの都市をまわってパリに戻っても一枚の絵を忘れることができなかった。図書館で本を借りて、現存する絵が33枚しかないことを知り、いくつかがヨーロッパにあることがわかるといてもたってもいられなくなった。

 

結局、学業を放り出してフェルメールを追う旅に出るまでたいして時間はかからなかった。フランス語は充分話せるようになったし、ディプロマを得るために机の前で時間を浪費するよりも別のことを優先させるべきだと考えたのだ。

 

私はバッグパッカーになった。寝台列車で移動し、ドミトリーや駅で寝てパンをかじりながら美術館にフェルメールを追い求めた。そのような毎日が自分にあっているということに日に日に気づいていった。もし、きまぐれにあの美術館を訪れなければ私の留学生活はまったく別のものになっていただろう。しかし、それは起こってしまったことなのだ。

 

次にあの絵に会ったのは2000年のことだ。私は勃興するネットの世界でベンチャーで働き、はじめて自分に合った職を得たことに満足していた。当然のように深夜まで働いていたある日、大阪の美術館にフェルメールが来ていることを知った。リーガロイヤルホテルが宿泊と鑑賞券のセットを販売していて、ネットで予約し次の日に出かけた。

 

大阪には夜に着いた。美術展関連イベントということでバーではフェルメールにちなんだカクテルを出していて、ついてきた無料チケットでそれを注文した。明日、あの絵と再会するということに少し興奮し、味は良くわからなかった。

 

美術館は混んでいて、フェルメールの場所に近づくのにかなり時間がかかった。ようやく、絵にたどりついた時も人の間からなんとかその姿を確認するという呈だ。それでもあの少女はそこにいた。もう一度会った時にどんな気分になるだろうと何度か想像してきたが、どんな考えも浮かばなかった。実際にその場所で感じたのはある種の哀しみだった。

 

9年という歳月でいかに自分が変わってしまったのか、あの頃と同じ姿のままの少女がそれを気づかせた。もうドミトリーで寝る必要もないし、仕事の将来も明るい。ただ、私は旅をする力を失っていたのだ。私の優先事項は仕事で、それ以外のことはおまけのようなものだった。日本に戻って以来のまたいつか旅に出たいという気持ちもどこかの引き出しにしまわれていった。東京に戻れば、私はまた何事もなかったように仕事に戻るだろう。

 

思い立って長い旅に出たのはその9年後だ。

今回、また東京にあの絵が来ている。私はどんな気分でそれを見るのだろうか。それを知りたくて出かけようと思っているがまだ果たせずにいる。