代官山日乗

自覚さえすればどんな生活にだって深い意味が出来る。

ミッドナイト・イン・パリ

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ウッディ・アレンの映画は恵比寿ガーデンシネマで観るのが毎年の習慣だったが、あそこがなくなってどうも勝手が変わった。あれほど楽しみにしていた新作もなんとなく足を運ぶのが億劫になっていたが、今回は違う。

 

1920年代のパリのアメリカ人がテーマですよ!

フィッツジェラルドヘミングウェイガートルード・スタインのいるあの世界にタイムスリップするという話ならこれは観に行かなければならない。

 

移動祝祭日 (新潮文庫)

映画にも出てくるヘミングウェイの移動祝祭日を繰り返し読み、シェークスピア&カンパニー書店に日参していた私はアレンに劣らぬくらいあの世界のファンなのだ。日本に帰ってから読んだ、優雅な生活が最高の復讐であるという、タイトルも装丁も、もちろん中身も素晴らしい本でとどめをさされた。

 

優雅な生活が最高の復讐である (新潮文庫)

時代は違うがポール・オースターに興味を持ったのも彼がパリに住んでいたからで、どうもパリのアメリカ人というのは自分の中で特別の感興をもたらすものらしい。

 

主人公は私と同じようにあの世界に憧れる作家志望の脚本家だ。フィアンセの家族旅行に付き合ってパリにきたものの、リッチな交友関係になじめない(本人も十分リッチなのだが)。未完の小説の行く末を案じながら、せっかくのパリでさえない毎日を送っていると、ある時不思議な車が現れて1920年代のパリへタイムスリップしてしまう。

 

話は大仕掛けなのだが、特に大きな事件が起こるわけでもない。ファムファタルとのつかの間の恋もやけにあっさりしたものだし、もう単にあの時代を描きたくて作ったファンムービーなのじゃないかと思えてくる。ゼルダとスコット、ヘミングウェイ、ダリにピカソ、マンレイにブニュエルまで何の必然性もなく出て来て20年代のオールスターゲームのようだ。

 

一応、ノスタルジーへの逃避から現実へ向き合い正しい選択をするというテーマもあるのだが、そもそも全体がものすごくノスタルジーを賛美してしまっているからあまり説得力がない。

 

果たして過去への憧れは逃避なんだろうか?多くのアーティストは過去に触発されて創造の活力を得る。ラファエル前派のようなわかりやすい例を挙げるまでもなく、アレン自身がそうだ。憧れるーそれはものすごく想像力を駆使する作業だ。何もかもがつまびらかな現代にはそういう対象が見つけにくい。知ってしまうことで想像力の入る余地がなくなってしまい、ただ判断するだけになっていく。

 

ウェーバーは近代社会を脱魔術化と言ったが、マジックのない世界は味気ない。個人的な想像力を働かせること、それは対象が過去であれ、生きることのドライヴィングフォースになるのではないだろうか。

 

とりとめもない話になってしまったが、映画は大変結構でした。