魂の錬金術ーエリック・ホッファー
7歳で失明し、15歳で奇跡的に視力を取り戻し読書にふけるようになる。18歳で天涯孤独の身になり、肉体労働者あるいは放浪者として一生の大半を過ごす。ホッファーの生涯はエピソードに富んでいて、それそれ自体が一つの物語のようだ(すばらしい自伝がある)。
アカデミズムに属さず、沖仲士をしながらひたすら読書と思索を続けた、それはつまり長い時間を孤独に過ごすということだ。孤独で思索的な人間は自分自身と対話し、自分の心を観察し続ける。生活の中で起きたことについての自分の感情や行動を客観的に認識しようとする。ホッファーの言葉にあるリアリティはそこにこめられた彼の実感に支えられている。
私はおりにふれこのアフォリズム集を読む。本棚の一段をライフタイムベスト・コーナーにして年に一度入れ替えているが、魂の錬金術はそこから落ちたことがない。読むたびに得るものがある数少ない本の一つだ。言葉は平易で読みやすく、語られている人の心理観察は深い。いくつか気に入ったアフォリズムをピックアップしてみた。
「空っぽの頭は実際は空ではない。ゴミで一杯になっているのだ。空っぽの頭に何かを詰め込むのがむずかしいのは、このためである。」
ー歩きながら電話をいじって頭にせっせとゴミを詰め込む時代になるとはホッファーも考えなかっただろう。
「人間の考えることの多くは、自らの欲望の宣伝である。」
ーこれはたぶん、フェイクブックのことを言ってるんじゃないだろうか?
「他者と連帯したいという熱望を生じさせるのは、自己嫌悪である。われわれは本質的に自分自身を敵にまわして他者と手を結ぶ。」
ー本当なのかどうか、私にはまだ判断がつかない。だが、他者との連帯を熱望する時、そこには自己に対する責任からの逃避があるような気はする。
最後に一番のお気に入りを紹介してこの項を終える。
「世界はわれわれ次第である。われわれが落ち込むとき、世界もうなだれているようにみえる。」
ゲンズブール/太陽の真下で Sous le Soleil Exactementを和訳してみた
Serge Gainsbourg - Sous le Soleil Exactement
あまりにも暑いのでSoul le Soleil Exactementを訳してみた。
ス・ルソレイユ・イグザクトモンと発音する。短いタイトルにス、ソ、ザとサ行がリズム良く入っていて耳に心地よい。ゲンズブールの詩は音がなくてもそれだけでいつも音楽的だ。アンナ・カレーナのミュージカルコメディ「アンナ」のために作られた曲だが、私はゲンズが歌っているこのバージョンも好きだ。
どこだかはっきりしない場所の甘い経験。思い出したくてもどうしても思い出せないが、体は太陽のことを覚えている。拡散していくとりとめのない記憶と、何度も繰り返される太陽の真下でという言葉が対比される。過去を振り返る時に誰もが感じるもどかしさと、肉体の記憶の生々しさ。
語り手は今まさに太陽の下にいるんだろう。肌を焼く光の下でつかの間の追憶に浸っている、そんなことを想像させる、夏になるといつも聴きたくなる曲だ。
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太陽の真下で
南回帰線だったのか、北回帰線だったのかとっくに忘れてしまった。
とにかく回帰線上のある一点だ。
そこは本当に太陽の真下だった。近くでもその辺でもない、太陽のきっちり下だ。
どの国の、どのあたりだったんだろう?
海辺だったことは覚えている。
太陽の真下にある場所だった。太陽の近くとか、陽が差してる何処かじゃない。
本当にちょうど真下なんだ。
ニューメキシコだったのが、それともケープ岬か、ヴェルデ岬の辺りなのか。
群島の一つだったのかもしれない。
太陽の真下だ。近くでも、その辺りでもない。
正確に太陽のまっすぐ下なんだ。
俺のエロチックな夢、目を開けたままの夢に決まっている。
でも、あれは本当のことだったって気もするんだ。
太陽の真下。近くでも、その辺りでもなく、太陽の真下だった。
そう、正確に太陽のまっすぐ下だ。
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Sous le Soleil Exactement
Un point précis sous le tropique
Du Capricorne ou du Cancer
Depuis j'ai oublié lequel
Sous le soleil exactement
Pas à côté, pas n'importe où
Sous le soleil, sous le soleil
Exactement, juste en dessous
Dans quel pays, dans quel district ?
C'était tout au bord de la mer
Depuis j'ai oublié laquelle
Sous le soleil exactement
Pas à côté, pas n'importe où
Sous le soleil, sous le soleil
Exactement, juste en dessous
Était-ce le Nouveau-Mexique
Vers le Cap Horn, vers le Cap Vert ?
Était-ce sur un archipel ?
Sous le soleil exactement
Pas à côté, pas n'importe où
Sous le soleil, sous le soleil
Exactement, juste en dessous.
C'est sûrement un rêve érotique
Que je me fais les yeux ouverts
Et pourtant si c'était réel ?
Sous le soleil exactement
Pas à côté, pas n'importe où
Sous le soleil, sous le soleil
Exactement juste en dessous
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ひとりよがりのものさし
なじみのギャラリーで今度、松濤美術館で開催される「古道具、その行き先」という展覧会を紹介された。
いわゆる李朝とか古伊万里でなく、様々な古道具を見立てで美を見つけるという先駆者の方だと聞いてがぜん興味がわき、店主の坂田さんの出されている本を購入してみた。
「ひとりよがりのものさし」、まずタイトルがいい。それに私が好きな函に入った本で表紙もクロス張りだ。最近、本に何が書いてあるかはどうでも良くなってきた。所詮何を読んでも、たいして変わりはない。本で人生が変わるには年を取りすぎてしまったのだ。
本の佇まいや、紙の感じ、開けた時の匂いなんかにぐっとくる。電子書籍?私の知らない所でやってくれればいい。私が生きてる間は紙の本も残っているだろう。それにしがみついて紙の山に埋もれて朽ちていきたい、そんなことを考えている。
さて、本の中身も大変結構だ。見開きで一つづつ様々なモノのすばらしい写真と洒脱な文章が掲載されている。西洋カルタ、虫籠、ロシアイコンなど一見脈絡のないものが、一つの個人的な美の基準で選ばれている。
モノを選ぶという作業は、いつのまにか価格や歴史的価値で階層化されたモノの体系から自分の予算にあって、かつ納得できるものを買うというだけのことになってしまった。自動車でもカメラでもまず体系を理解し、それを読み解いていくという作業はそれなりに面白いが何度も繰り返していると莫迦らしくなってくる。
モノの体系から離れ、モノそのものに対峙して何かを選択する。それには坂田さんのいう自分のものさしをもつ必要がある。それはほかの誰のものでもない自分だけの世界を育てていくことからしか生まれない。ネットが普及してどうもいただけないのは、多数決が何かの基準になっていることだ。みんなが推薦するレストラン、レビューの点数がいい本、何千回のRT。
まったく知らない他人の意見をただ参考にしているつもりが、いつの間にかそれに取り込まれてしまう。便利に生きてる気がしても、それは他人の考えをなぞってるだけのことだ。何だって楽な方がいいという考えもあるだろう。しかし、そこにはグルーヴがない。大事に育ててきた自分だけの世界と呼応するものを見つけた時、スパークする何かが私は好きだ。
仕事を休んでマウリッツハイス美術館展を見なかった記
仕事を休んで東京都美術館にマウリッツハイス美術館展を見に行った。
こちらに書いたようにあの絵との再開をすごく楽しみにしていたので、上野の公園を歩きながら胸が高鳴るのを感じた。美術館につくと係の人が最後尾は30分待ちと書かれたプラカードを掲げていた。まぁ、それも仕方ないと思いながらチケット売り場に向かった。ちらりを横をみると館内に長い行列が見えた。人、人、そして人。
私は花火大会とか野外ライブとかネズミの遊園地とか、人がたくさんいる場所が好きではない。正直に言うと大嫌いだ。そういう場所にでかけて楽しい思いをしたことは一度もないし、今はそれがわかっているのでもう出かけることもない。
マウリッツハイス美術館は小さな街のささやかな美術館で、私はかつでそこで見た小さな絵と再会したかっただけなのだ。なぜこんなことになっている?これじゃあまるで大人気のラーメン屋か(行列に並ぶのも大嫌いだ)、アイドルのコンサートじゃないか。
30分待つことは問題ない。だが、人ごみに流されるようにしてたくさんの頭の間から絵を見たって何の感興も得られないだろう。フェルメールに限らず図版ではなく、本物の絵をみる楽しみは細部を観察して写真ではわからないタッチを見たり、ため息をつきながら長々と立ちすくみ、離れがたい気持ちを押さえて立ち去ることにあるんじゃないだろうか。
こんな風に絵を見ても、本物を見たと人に言えるだけだ。私はすでに見たことがあるのでそういう経験は必要ない。別にマウリッツハイスに日本にきてもらう必要はないし、いつか自分の方からまた出向こう、そう決めて降りたばかりのエスカレーターをまた上り、公園を歩いて渋谷に帰った。
TOMSの靴 靴とお金と社会貢献
近所の店でTOMSの靴を買った。
キャンバス地で軽く、インソールもアーチの部分に工夫があり歩きやすい。
ここの靴を一足買うと海外の靴のない子供たちに靴が一足プレゼントされる仕組みになっている。One for Oneというこのコンセプトはシンプルで力がある。なぜ靴なのか、ファウンダーのブレイク・マイコスキーはどんな人なのか、TOMって誰なのかなどかこちらを見てもらえればわかるのでここでは省略する。
最近、お金の使い方について考えるようになった。チェーン店よりは好きな個人商店をできるだけ利用するし、本を買う時もAmazonより書店を使う。自分が続いてほしいと思う所にお金を使うことでそれをサポートしていかないと無くなった時に後悔するからだ。自分にとっては単なる消費も、それが誰かの生活やビジョンを支えている。お金を使うというのは他者を応援することでもあるのだ。
そんな所から、お金を使わずには生きていけないのだからせっかくなら世の中をちょっとでも良くすることにつながる使い方をしたいということを考えはじめた。あるいは自分の望まない世界につながることには使わないようにと。
One for Oneについては靴がないことが問題なのではなく、それを買えない貧困が問題だという考えもあるだろう。実際、多くの活動団体は貧困地域の経済的自立を主に活動している。だが、貧困の問題は短期間では解決しない。そこに靴がない子供がいて、靴をあげたいと考えた人がいた。そういう気持ちを誰かが持っている世界、それは続いてほしいと思う。
役に立たない代官山ガイドブック:駅前の珈琲屋台
代官山で一番好きな風景の一つ。
どこへ行くのもほとんど徒歩だし、たまに電車に乗る必要がある時は渋谷駅を使う。
8年住んでいて、代官山駅は数えるほどしか使ったことがない。駅に来るのはここのコ珈琲を飲むためだ。
駅前の駐車場にとまった小さなバンとその横の椅子に囲まれたスペース。恵比寿まで歩く途中に寄ってカプチーノを頼み、お店の人と話す。夏の会話は「暑いですねぇ」で冬の会話は「寒いですねぇ」。春と秋は「最近代官山も若い人が増えましたね」と「忙しいですか」で過ぎていく。この街に若い人が増えたのは越してくる前からだし、お互いいつもたいして忙しくないことはわかっている。
後ろに人が並んでくると椅子のスペースで軽く珈琲を飲む。別に歩きながら飲んだっていいんだが、この小さな空間がやけに落ち着く。それに座って飲むと珈琲の香りが楽しめるのがいい。ただぼぉっとうまい珈琲を飲む、ほんの10分程度の時間。それをもっと味わいたくて朝から珈琲を我慢することもある。
この場所は、私の代官山生活を刻む句読点なのだ。
風呂上がりのカプト・メデューサ(T. caput-medusae after bathing)
チランジア・カプトメデューサをソーキングの後、風にあてて乾かしている。
チランジアはたくさんの種類があるが、大体、熱帯の森林地帯などで樹木などに張り付いて暮らしている。といっても寄生しているわけではなく、根はほとんど発達していない。ただ申し訳なさげに宿を借りているだけだ。根から栄養をとらないかわりに、夜になると気坑を開き、濃密な霧から水分を吸収して成長する。土がいらない所からエアプランツなどとも呼ばれている。
日本で育てる場合は水やりは霧吹きを使うか、夜のうちに水にすっかりつけてしまうソーキングを行う。この株はソーキングの方が調子がいいのでもっぱらそちらで育てている。夜の0時くらいに風呂桶に水を張り、朝7時にそこから出す。あまり長いとしなしなになってなかなか回復しない。
月に何度かとは言え、植物を風呂に入れるのは変な感じだ。朝になるとものすごく元気になっていて嬉しい。このカプト・メデューサはかなり大株で現在花盛り。黄色と紫と赤の花を何本か出して南国気分を盛り上げてくれる。
学名 Tillandsia caput-medusae
学名 チランジア カプトメデューサエ
パイナップル科(ブロメリア科) Bromeliaceae
原産地 中南米熱帯 熱帯アメリカ~アルゼンチン